" /> 花屋に情けは禁物です そして俺は今日も花を切る — だから花屋はやめられない

花屋に情けは禁物です そして俺は今日も花を切る

久しぶりの更新です

4月ってこんなに忙しかったのかというくらい

ここ最近忙しい日が続いている

おかげで波乗りもダーツもヘトヘトになり行けずじまいです

何件か観葉植物の注文が立て続けに入っているが市場のほうでも注文が前倒し状態で

注文してもなかなか入荷しない

前から感じているのだが

今年に入ってずいぶんとどこも花屋さんは忙しいようだ

話し変わりまして

昨日は同じ仲卸の大田フローレさんが5周年ということで仲卸店舗内で

デモンストレーション&屋台みたいなイベントを開きました

大田市場内でお酒を飲み、みんなで楽しく過ごすという楽しいイベントでした

残念ながら車で行ったため一滴も飲めませんでしたが

いろいろな花屋さんや生産者と会うことが出来てとても楽しかった

なかでも 草花園の大輔さんとはmixiでたまにメッセージをやり取りするくらいでいつか会えることを楽しみにしていました

その席で我が悪友 野沢の山猿こと山ちゃんがデモンストレーションなるものをやりました

デモンストレーションはいつ見ても誰のを見ても良くも悪くもためになるもので

昨日もいろいろ勉強させていただきました

ひとつ このデモンストレーションで気になったことは

この山ちゃんが花のことをこの子といったことである

花屋と市場仲卸の2足の草鞋をはく俺としてはずいぶん前から気になっていた『この子』ということば

市場に来る花屋さんも『この子』と言う人が多い

店に来るお客さんもよく使う言葉だ

しかしオレは『この子』ということが花に使えない

観葉植物や鉢物苗物、ならなんとなくかわいがって育てると言った事から

使ってもおかしくない気もするが

切花にはなぜか使えない

『この子』という発言のなかにはどういった意味があるんだろうか

確かにやさしさから来る言葉のように感じるが

花屋さんはその子の首を毎日のように鋏でちょん切っている

植物は本来 根があって生きているもの

自然に生きていれば花が咲き 種が出きて 種が落ちて 子孫を残し 一生を終える

生産者は種や苗から大事に育て 出荷の際に鋏を入れる

植物はその時点で 死んでしまっているんじゃないのだろうか?

切花になった花は生き物ではなく商品になってしまう

それでも切り花は水を吸い 蕾を開かそうとする

その残された僅かな命 けな気さに人は『この子』というのだろうか

たまに、生けた花が最後まで咲ききり 散ってゆく感じが好きという人もいる

ちょっと考えを変えてみると

残酷な気がするのは俺だけだろうか?

取り留めのない話になったが

昨日デモンストレーションをした人たち その他関係者の人たち

お疲れ様でした

とても楽しませていただきました

花屋の徒然
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