" /> 触れず関わらずが優しさじゃない! — だから花屋はやめられない

触れず関わらずが優しさじゃない!

昨日は手話教室の日でした

先週の苦戦から一週間

毎日通勤中 店の暇なとき 家に帰ってからも勉強した

指文字50十音に加え 挨拶から日常使う簡単な手話などを覚えた

昨日は苦手な数を習った

花市場勤務が長いと花業界で使う数の数え方(符丁)がにしみている為

手話の数の数え方と指の使いかたが微妙に違う

この一週間がんばって覚えてきた

早く日常会話が出来るようにと思って

しかし 教室に行って愕然

相手の手話がまったく解かりません

自分でも知っている単語でも会話の中に出てくるとまったく理解できない

手話も語学も同じだと思うが

相手の言葉や手話がわからなければ会話にはならない

先週は俺が新入りの為

みんな興味深々で俺のやる事言う事を見てくれたが

今回は大人数ということもあり それぞれに会話をしている

だから相手の手話が読み取れなければ

会話にも入ってゆけない

今回一つ面白い事に気が付いた

手話を使う人は食事中によく箸を落としたりコップを倒したりしてしまう

でもそれは割とよくあることらしい

ろう者同士が手話で会話が盛り上がってくると

自分のかけているメガネを飛ばしてしまう事もある

手話は指や手だけではなく顔の表情も重要な会話の手段だから

顔の前で手話をしてると自分のメガネを飛ばしてしまうらしい

実際 1時間くらいの間に3回も箸を落としてしまい

ファミレスの店員もさすがに4回目は不機嫌そうな顔していた 

申し訳ありませんといった表情をしながらも

これは手話を使うろう者の文化の一部と言い切る

たくましさを感じた

今回は十数人の半分以上が健聴者だが

みんな手話で会話をする

周りの人には異様な光景に見えるのか

チラッと見ては見ない振り

世の中の人はハンデのある人に触れず関わらずが

思いやりや優しさだと思っている

でもそれはただ目を背けているだけ

ハンデのある人たちはもっとたくましく

そのハンデも自分の個性として思っている

外国に行くと思うのだが

他の国にはいろいろな人種がいたり文化やイデオロギー宗教の違いなどを

それぞれに認め合っているような気がする

ハンデのある人も障害者としてではなく

その人の個性として社会の中で生活している

でもやはりハンデがある以上出来ない事もある

その出来ない事を手伝ってあげる事が自然に出来る世の中でなくてはならない

同情や哀れみではなく

車椅子の人が通れるように道に自転車を放置しないとか

目の不自由な人の横を車やバイクで普通に通過したりしないとか

そんなことが自然に出来るのが

本当の優しさや思いやりだと思う

ホントは実に簡単で基本的なことなんだけど

 

花屋の徒然
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