俺がまだ 横須賀の神童と呼ばれていた頃
よくクラスの学級会議の題材にされたことがある
そして先生から
『なぜ窪田君は人が嫌だということばかりするのか?』
と聞かれる
決まって俺はこう答えた
『だって先生が人の嫌がることを進んでやりなさいといったから』
そのあと先生から大目玉を食らった事は言うまでもない
そんな俺が三浦の大自然の中で
すくすく育ち
中学生になり 人並みに高校へ進学
そんなチェリーボーイな頃 Punk rockに多大な影響を受けた
今の人格形成はほとんどその頃に培われた
早くから独立心のあった俺は
高校時代はバイトに明け暮れ
卒業して東京に出てきた
数々のバイトを経験してきて早くから社会の中で生きてきた
縦の関係や横のつながりなど
誰よりも分別のつく人間だと自負してる
そんな俺が よく人から
『まあまあ、もういい大人なんだからといわれる』
しかしいい大人だからなんなんだ?
たびたび店にやってくる
あまりに失礼な営業マンや
くだらんものを言葉巧みに売りつけようとする
あこぎな会社の営業
などと 店でたびたび
半分けんかになることがある
訳わからん理由を
納得させようとする人や
自分の価値観を押し付けようとすること
権力の上にアグラをかいているようなヤツ
平然と悪いことをしてるやつ
こういうものを見ると
黙っていられなくなってしまう
自分で腑に落ちない事
自分では正しいと思った事なのに
なんで 折れなければならないのか?
それがいい大人である為に必要なのか?
自分に負がないのに
他人にペコペコと
机に頭をこすり付けるような生き方はしたくない
もちろん自分が納得したり
自分が間違っていた時は
素直に謝る事もできる
いい大人とはそういうもんじゃないのか?
長いものに巻かれ
流れに流され自分を見失う事が決していい大人だとは思わない
俺の好きな言葉に
『造反有利』という言葉がある
文化大革命初期のスローガンで
毛沢東が唱えた
(あらゆる抵抗や反乱には、それなりの正当性がある)
反抗するには理由があるといった意味
しかしこの言葉
文革の時、紅衛兵が「反革命分子」を虐殺するスローガンに使われ
中国ではあまり良い言葉ではない
歴史的背景は別にして
反抗するには理由があるというところだけとって
好きなんだけど
ジェームス・ディーンの
映画『理由なき反抗』
この理由なき反抗ということは
いい大人のすることじゃなくガキのすることだと思ってる
JUN SKY WALKER(S)というバンドの
MY GENERATIONという曲の中に
こんな一節がある
いたわり過ぎても 優し過ぎても
壊れてゆく時は同じ事さ
大人になる前に知るべきことがある
自分のやり方とワガママの違いをを
そんな事があるたびに
この詩を思い出す
自分で知るべき事も大切だが
人にわかってもらうのはもっと大変だと