" /> 人間は考える葦である — だから花屋はやめられない

人間は考える葦である

10月29日にムスメ 結花が生まれ

早3ヶ月 もうじき4ヶ月になろうとしている

このところのムスメ結花の成長には目を見張るものがある

昨日までできなかったことが突然できるようになったりする

たとえば 一人では寝なかったのが一人で遊んでる途中で寝てしまったり

おしゃぶりが吸えなかったのがいきなり吸える様になったり

昨日まで絶対飲まなかったミルクを

今日いきなり飲めるようになったり

最近ではぐるぐるどっか~んを見ながら笑っていたり

あっぐるぐるどっか~んというのは

NHKのいないないば~という番組の中の曲です

ちなみにこれ

毎日いろいろなことを吸収して成長してゆく

そんな結花を見ていると

大人はいつから成長が止まってしまうのだろうかと思う

もう少し毎日に刺激を持って生きたいなと

人間は考える葦である 

「人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。

だが、それは考える葦である」とこれは有名な哲学者パスカルの言葉

これに対し「男はつらいよ」の寅さんは

「なんだ人間は足で考えるのか?」と言った

パスカルは著書の中で

「人間の尊厳のすべては、考えることのなかにある」

「考えが、人間の偉大さをつくる」

「すべての人間は幸福を求めている。これには例外がない。

その手段がいかに異なっていようとも、みなこの目的に向かっている。

意志は、この目的に向かってでなければ、一歩も前へ進まない。

これはあらゆる人間の、みずから首をくくろうとする人に致るまでの、

あらゆる行為の動機である」

俺はこれをすべて良いほうに考え勝手に都合よく理解しようと思う

しかしパスカルは著書の中で

人問は生まれながらの死刑囚であるともいう

「死より確実なものはなく、死期より不確実なものはない」

「すべての人間は幸福になることを求めている。

これには例外がない。

そのための手段はいかに異なっていようとも、

彼らはみなこの目的に向かっている。

これはあらゆる人間の、自ら首をくくろうとする人々に至るまでの、あらゆる行為の動機である」

「現実の人間はみな空しく、その空しさをまぎらわすために、常に気晴らしを求めている」

「多数の人々が鎖につながれ、死刑を宣告されているさまを想像しよう。幾人かが日ごとに眼前で絞め殺され、残った者は、自分たちも同じ運命をたどることを悟り、悲しみと絶望の中で互いに顔を見合わせながら、自分の番がくるのを待っている。これが人間の状態なのである」

人間が幸福になるには、死の問題を克服し、来世での幸せが保証されなければならない、と確信します

パスカル君 何で君はそんなに

人生はむなしいと思うのだろうか?

そんなのはFuck off!!だぜ パスカル君

俺は頭が悪い 難しいことはわからんし

考えたくもない

来世でのシアワセなんて保障されなくてイイ

今を楽しむよ

今 俺は「死ぬまでは生きてるんだから」

パスカルに言わせれば”人間じゃない”のかも知れません俺は

もし天国とか地獄があるなら

俺はエンマ大王に賄賂を渡し

天国のドアの鍵を貰うよ

花屋の徒然
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