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聾(ろう)学校という名を残して

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こういった運動があったこと

友達に教えてもらって始めて知りました

自分は手話を習っていて思っていたのですが

聾唖者という言い方

なんとなく抵抗がありました

なんとなく差別用語のような気がしていた

でもこの記事を見て

聾の人たちの聾という言葉への思いや聾文化としての歴史や背景など

まだまだ知らない事が多いと思った

「聞こえなくてもありのままの自分で生きる。そんな私たちの誇りが『聾』という言葉にこもっている」と話す。「特別支援」という言葉は、聾者を支援される低い側に位置づけてしまうと訴える

確かにそういわれるとそうかもしれない

校名変更のきっかけは昨年4月の改正学校教育法の施行だ。学校の法律上の種別が変わり、聾学校、盲学校、養護学校は「特別支援学校」と一つにくくられた。複数の障害がある「重複障害」の子どもに対応しやすくすることなど

決して聾の人たちを低い側に位置づけようなどという

ことではないようにも思えるし

自分では差別や偏見などの壁が世の中からすべてなくなってほしいと思っているが

聾という言葉を差別だと思う気持ちが

もうそこで差別となってしまっているのかなと

今年はオリンピックイヤー

オリンピックとパラリンピック

いつも どうして別々に別けて開会しなければいけないのかと思う

きっとそれなりに理由があるのだろうが

世界のスポーツの祭典として

国や人種 宗教 文化 それぞれの違いを理解しあい

差別や貧富やハンデなどなど

すべての壁を取り去って世界中がひとつになれる

お祭りとして盛り上がることは出来ないのだろうか?

以前このブログにも書いたことだけど

天才童謡詩人、金子みすずさんの有名な詩

『私と小鳥とすずと』

わたしが両手をひろげても、

お空はちっともとべないが

とべる小鳥はわたしのように、

地面をはやくは走れない

わたしがからだをゆすっても、

きれいな音はでないけど、

あの鳴るすずはわたしのよう

にたくさんな歌はしらないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、

みんなちがって、みんないい’

自分にはできないけどあの人にはできる

あの人にはできないけど自分にはできる

みんなそれぞれその人の個性があるように100人いれば100の得意、不得意があるように

出来る人が出来ない人を手助けすること

かわいそうとか不自由だからということではなく

手を差し伸べる事が自然に出来るように

自分もなりたいと思った

これも以前ブログに書いたことだけど

好きな言葉に

『天上天下唯我独尊』という言葉があります

唯我独尊とは、

この世の中でみんなそれぞれお互い自分というのは

かけがえのない尊い存在であり

かけがえのない尊い命であるということ

みんなそれぞれちがって良い

お互いにみんな尊い存在で

お互いの違いを認め理解しあうことが大切だという意味

最後に今回いろいろな事を考えさせていただいた

takakuraさんに感謝

花屋の徒然
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