perfumeで毎月やってる
デイホームでの花教室
先月は夏らしくヒマワリとミントを使ったさわやかなアレンジメント
そして先月から悩んでいるのは
夏本番 花の持ちが悪い
アレンジをやめて 花瓶に生けるようなのにするか
では花瓶はどうする?
ペットボトルや牛乳パックを切って色塗ったり折り紙貼ったり
アイデアは尽きないのだが
限られた時間内でやらなくてはならないのと
人数分の絵の具や糊やボンドをどうする?
いろいろと実現が難しい問題がでてくる
以前からホームの人に提案してきたのは
夏は切り花をやめてガーデニングにしようということ
いろいろ考えていた一ヶ月
しぼりにしぼって3つの案を出した
1 朝顔の鉢に植える 苗は安いが鉢や行灯を入れると値段が合うかどうか
2 大きくならない野菜苗の寄せ植え パセリやミニトマトなど
3 多肉植物の寄せ植え 水コケを使い手があまり汚れない
多肉は8月に回してもよいが
朝顔と野菜は時期的なものも考え8月には回せない
どちらも捨てがたい
今 鉢の仕入れ値などをメーカーに打診中
この花教室思いのほか大好評で
秋からはもう一箇所でも開催されることが決定した
花教室と銘打ってやってはいるが
花の挿し方を指導したり挿し直さしたりはした事がない
ほとんどがおしゃべりで終わってしまう
それでもみんな思い思いのアレンジを毎回作っている
出来とかバランスがどうとかそんなのはあまり関係ないです
それでも『先生』とか『今度はいつやるのか』とか言ってくれます
昔は生け花の師範をしてたとか
庭で花をいっぱい育てていたとか
自慢げに話してくれます
ホームの人もこれにはとても喜んでくれます
花育とか園芸療法とかフラワーセラピーなどたくさんありますが
perfumeのそれは花教室というより
花いじり 花遊び といった感じ
昔の話をしたり 孫の話を聞いたり
花をいじりながらそんなたわいもない話で時間は過ぎます
この花教室をやり始めて気づいたことが
そんなたわいもないことや
昔、普通にしていた事 見ていたもの 感じていたことが
年をとり認知症などが進み
できなくなったり 話せなくなってしまう
いま自分が当たり前のように感じていることさえもが
当たり前でなくなってしまう
それが花というもので何か変るということを
ホームの人も自分でも目の当たりにすると
これは無駄な事ではないんだなと思う
少し話は変わりますが
以前 花育ということにすごく興味があった
今でも大切なことだと思うし、やっている人たちの考えに共感している
でも少し距離を置いたのは
元気に走り回ることができる子供達は花を見たり
さわったりいつでもできるし摘む事も出来る
都会にはそんなに野原のようなところもないが道端にも花は咲いている
だから 花育として心の豊かな子供達を育てるという目的は
花育をやってる人たちに任せれば良いかなと
ならば俺は花をさわりたくてもさわれない
見たくても見れない
ニオイをかぎたくてもかげない
子供に限らずそんな人たちに花に触れてもらいたいと思った
お年寄り達は昔たくさん花をさわっていたのに症状が進み
今は花を買うことも飾ることもなくなってしまったお年寄りに
昔取った杵柄じゃないが思い出してもらいたい
また得意げに大げさな身振り手振りで話す
お年寄りが目に浮かぶ
今回は育てるという事を楽しんでもらいたい
水をやり 日に当てる それだけで新しい芽がでる
自分が育てているということが毎日の励みになってくれれば大成功
枯れてしまった時の事は...
考えたくない
以上 花業界の虎舞竜でした