" /> 少しだけ冷めました  — だから花屋はやめられない

少しだけ冷めました 

今ちょっとだけ冷めました

だけど忘れたわけじゃありません

ただいろいろな人に聞いて回ったところ

みんながみんなそこの事良い事言ってなかったから

そんな奴なんだなと

言いたい事言わせておこうと思いました

ただし 次はないぞとだけは言っておきます

思えば自分もそんなことがありました

25、6の頃だから今から16、7年前

まだ花について右も左もわからない頃

当時まだバンドやってまして

高校卒業と同時に花の専門学校へ行き

途中で中退しましたが

ふと花屋になりたいと思い立ち

求人誌にでていた花屋さんの求人募集に応募しました

アメリカが大スキな俺はアメリカの地名が店名のそのお店

お店は広尾にあり

今も営業してると思います

面接日が決まりお店に行くと

ズラーッと面接待ちの列ができていました

今思うとなんでその店がそんなに人気だったのかわかりませんが

並んでいる人は全て女性だった事を覚えています

気恥ずかしい思いをしながらも順番を待って

やっと自分の番

なにを言ったか覚えていないけど

『花屋になりたいから修行したい』というようなことを言ったと思う

その面接でケチョンケチョンなボロクソな事を言われ

当時まだ血気盛んトンガリまくってた頃だったので

机を叩いて飛び出した記憶がよみがえりました

今思えば きっと生意気な事言ったんじゃないかなと

その社長は女性の方で

きっと当たり前のことをおれに言ったんじゃないのかなと思うけど

泣きはしなかったが

とても悔しい思いをしながら広尾から渋谷まで歩いた記憶があります

何年か経ち俺が仲卸で働き出してから

何かの縁かその社長の注文を担当する事になりました

最初はコノヤローなんて思っていたけど

思い切ってそのことを聞いてみたら

なんとなく思い出してくれた

『どうせあんなの何やってもだめだよ』と思ったらしい

しかしそれがバネになってかどうかわからないが

花市場に入り 今こうして花屋をやっていることを考えると

今回ガッチもその悔しさを乗り越えることができれば

きっと花に携わる人間として成長するんじゃないかなと思います

しかし当時はホント尖ってました俺

パンクバンドということもあってか

髪は金髪はもちろん青やピンク ツンツンだったりモヒカンだったり

今みたいに波乗りしたりしないから

とにかく 髪の色と顔色と悪かった

ヤバイ事もやってたしね

今では普通に働くところもあるけど

当時は金髪で働けるところは

ガソリンスタンド 工事現場 ビデオレンタル屋 レコード屋位しかなかった

アパート借りるのだって一苦労な時代

共同玄関 共同トイレなんて当たり前

部屋にフロがあるなんて相当リッチで

俺の場合 部屋にトイレがあるだけで友達から羨ましがられたモンだ

夜は居酒屋でバイトしてたから夕飯には困らなかったが

朝昼は頂いた2本の羊羹で1週間過ごした事もあった

銭湯に行く金もないし深夜に帰宅の為

銭湯はしまってるんで

コインランドリーに行きがてらコインシャワーなんてのにもよく行った

100円で五分 お金を入れる前に外の水道で髪をぬらし

頭と身体を洗っておき

100円を入れて洗い流す

よく自宅の流しに乗っかって体洗ったモンです

そんなこと思い出してたら

少しだけ怒りも冷めてきました

それではまた

次はないからな次は

花屋の徒然
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だから花屋はやめられない