" /> 道に終わりなし回り道もなし 俺は俺のロードを走る — だから花屋はやめられない

道に終わりなし回り道もなし 俺は俺のロードを走る

いやあ 偶然とは恐ろしいもんだって話

昨日深夜まで熱い花屋さんたちが集まってミーティングが開かれた

こんな熱い奴らが身近にいたなんて

それも思いだけでなくしっかりと行動をしている人たち

いろいろと勉強になった

たまたま今日更新しようとしていた記事の内容と似すぎてちょっとびっくりです

自分的にもあまりにもタイムリーすぎて恐怖を覚えます

その内容とは

昨日 お店にヒョコッと小学校3年か4年生くらいだろうか女の子がやってきた

こっちの花見てあっちの花見てお財布の中見て

かれこれ20分くらいは居ただろうか

普通なら途中で声をかけるんだけど

そのときに限ってひっきりなしにお客さんが来るモンで

声をかけられずにいた

その子もなんかモジモジ お互い声かけられずにいた

そのうち意を決めたかのようにその子は

『すみませんお花ください』と

用途を聞けばお誕生日の花だという

そして花は自分で選びたいと

感覚だろうか

なんともかわいい花の取り合わせでした

ウチでは基本的にはラッピングやメッセージカードはサービスなんで

メッセージカードを書いてもらった

ラッピングし終えてカードを添えるときに

ちょっとだけメッセージが読めてしまった

『おたんじょうび おめでとう

いつもやさしいおかあさんへ』と書いてあった

かわいいね

あんな花束もらったらきっとお母さんは喜ぶだろうね

こーんな事があったのよ

それで今日書きたかったのはこーんな事です

これから先は実に今日更新しようと書いといたことです

大好きな人へ自分で花を選ぶ

作り置きにはない そして金額ではない

優しい気持ちがそこにある

昔こんな話を聞いたことがある

花屋は花を贈る人の嬉しいと贈られた人の嬉しい

一度に2つの嬉しい気持ちになる

素敵な商売だと

そのうえ 花を買ってもらえれば花屋も嬉しい

いつも思うことは

花を飾ろう 花を飾って安らかに癒される気持ち

花を贈ろう 贈られた人の喜ぶ顔 贈ろうとする優しい気持ち

その気持ちを上手に伝えるのが花屋の仕事

そう考えると接客もとても難しいです

デザインを押し付けたり 高い花を買わせようとしたりしては

なかなかその優しい気持ちが引き出せない

物腰柔らかいだけでもダメ

もちろんエラそーにしてもダメ

昨日その子が最初なかなか声をかけられなかったのは

年頃なのか花屋さんの店の中に俺みたいなぶっきらぼうな

男の人が一人 ロカビリーは流れてるわで

躊躇してしまったみたい

近所の気心知れた子供なら気軽に声をかけてくるんだが

とくに女の子になるとむずかしい年頃もあるだろうし

やたらにこちらからにじり寄っても

気味悪がられるだろうし

接客は千差万別臨機応変に対応できなければイカンな

難しいことを考えてもダメだなと思ったが

じつはそんなに難しい事ではないような

商売の基本に戻り 花屋のあるべき姿をやるだけ

ただそれだけが基本中の基本

接客マニュアルなんて本当は無意味なもの

これが花屋道

花の世界にも華道 フラワーデザインなど

これまた奥が深いが

花屋道も奥深いです

そしてふと思ったのは花屋の店員って男が良いのか?女の人が良いのか?

オバチャンたちは圧倒的に男が好きです

男のお客さんはおねえちゃんがいるよりも

男の店員のほうが照れくささもなく気兼ねないような気もするが

老若男女それぞれそろっていればオールマイティーに接客できるんだろうけど

現実問題そこまでは

この間 配達先で借りたトイレに

相田みつをさんのカレンダーがかけてあった

そこに

~道~

道はじぶんでつくる

道は自分でひらく

人のつくったものはじぶんの道にはならない

またアントニオ猪木でも有名

実は清沢哲夫『無常断章』の道

此の道を行けば どうなるのかと 

危ぶむなかれ 危ぶめば 道はなし 

ふみ出せば その一足が 道となる 

その一足が 道である 

わからなくても 歩いて行け 行けば わかるよ

なんてのもあるが

俺はこれ

俺は俺のロードを走る

花屋の徒然
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だから花屋はやめられない