今日はちと真面目な記事です
なんか朝からやるせない気持ちで
憤りを通り越して怒りになってます
このもやもやした気持ちを抑えられず
いろんな人にメッセージだしまくったりして
なんだろうかわからん気持ちを何とか抑えようとしています
俺の職業は花屋です
だからといって花が特別好きかといえばそうでもないです
でもまんざら嫌いでもないです
おまんま食うため花を売ります
花は商品でもあり生活の糧
だからみんなが使うように花のことを
この子とかかわいこちゃんとか
売れることをお嫁に行ったとか言いません
言っている人 それもまた良いと思います
花に対する商品に対する愛着や優しい気持ちだと思います
つい先日
花屋のあるべき姿
花屋道について書いたばかりでこんなことが
事の発端はこれ
画像は勝手に拝借しちゃいました(スミマセン)
まずは見てください
おそらく送別会かなんかで貰った花だと思います
せめて せめて家まで持って帰ってもらいたかったです
街角で配られるチラシのよう
読み捨てられた雑誌のよう
誰もなんとも思わず通り過ぎていると思います
もちろんニュースになることもなく
でももしこれが人間の赤ん坊だったら
大ニュースです
動物や人間だったら犯罪になるのは
動いたりしゃべったりするからなのだろうか
生花 生花市場 生花店と生花という言葉を使うが
みんな(なまの花)だと思ってるが
じつは(いきた花)なんです
贈った人が見たらどう思うのだろうか
もしかしたら贈る人も
『花でもあげときゃ良いだろ、邪魔なら帰りに捨ててくれ』
なんて気持ちであげたとすれば
売った花屋も共犯者になる
何を綺麗事言ってんだといわれてしまうかもしれないが
こういったことが現実問題あるのもわかっていたし
それはイカンと今までブログに書いてきた
だからperfumeのお客さんにはそんな奴はいないと思っているし
そんな使い道なら最初から花は売らないし
今まで客とけんかになっても売らなかったし
それが俺のやり方
しかし実際のところその花の行く末を見たわけでもない
最近花育 花育とよく聞くようになって来たが
本当に花育が必要なのはこういったことする奴らにだと思う
子供たちに豊かな感性や思いやりがないのは
その子供たちを育てる親のせい
子供には本来綺麗なものを見て綺麗だと感じる感性や
楽しいことや遊びを見つける才能がある
昔のように野原や空き地がなくなっても
その時代のその場に対応した遊びを作り出したりすることが出来る
それに対してまわりの大人たちが
汚れるから危ないからなどとやらせなくなってしまった
そんな大人に育てられる子供に花育しても
きっと花を家に持ち帰っただけで
『花なんてすぐ枯れちゃうんだから』
『枯れたら自分ですぐ捨てなさいよ』
『もうゴミが増えるだけよ』
『そんなの帰りに捨ててきなさい』
そう言われてしまうと思う
小さな子供たちに何年か先の花の売り上げを期待するのも悪いことではないが
歪んだコイツらをどう料理するかで
これからの花業界の未来がかかってると思います
生産者さんは花を出荷して花屋さんに買ってもらえば終わり
花屋さんは仕入れてきてお客さんに売ってしまえば終わり
そんなこと続けてたら
添え物ギフト需要は尽きないが
未来はないよ
『なにを綺麗事並べてんだよ!
商売は売れりゃあ良いんだよ
お前だって花売って飯食ってんだろ
買ったお客がその花どう扱おうとお客の勝手なんだよ』
まあ確かにあんたの言ってる事は間違っちゃいない
生きるために 息を吸う
生きた花を地域でいきいき活けたり売って行きたい
それが生きる道