" /> 自灯明、法灯明 なるようになる — だから花屋はやめられない

自灯明、法灯明 なるようになる

今夜の勉強会は

なんだかわからないうちに終わってしまったようだが

いくつか心に残ることがあった

「自灯明法灯明」「なるようになる」

「自灯明法灯明」?

なんでも

お釈迦さまがご往生をむかえられた時

お弟子たちは、

お釈迦さまが亡くなられたら、さてあとは誰をたよりにしたらよいかと心配したそーな

お釈迦さまは

『自らを灯明とし、自らをたよりとして他をたよりとせず、

法を灯明とし、法をたよりとして他のものをたよりとせず生きよ』と語られたそーな

そんでもって

自分なりに考えた

俺は人の言ったことに左右されがちで

とくに権威ある人の言葉だったりするとかなり影響を受けやすい

きっとその方が安易だからです。

その結果「信用していたのにだまされた」ということがよくあんだよね

しかし何を根拠に正しいと判断すればいいのか?

それが「法を灯明とせよ」ということ

法とはいったい何なのか調べると

物ごとの本当のあり方何だと

たとえば、すべてのものは変化し、永久に続くものではない

この事実が無常という真理らしく

この真理を法なのだと

誰でも認める真理

この明白な事実でも、自分自身のこととなると素直に認められない

他人は死んでも自分はいつまでも元気でいると思っている

じつはこれが迷いというもので

自分だけは例外だと無意識に思いこんでる誤りに気づき、

その迷いから抜け出すには、

この法に根拠をおき、法に教えられ、自分自身が目覚めるよりほかに道はない

それが「自灯明、法灯明」なんだと

ここまでくるとなんだかとても難しいことになってくる

そんな悟りを開くようなことは俺にはできない

なので俺なりに勝手に解釈

人の言ったことに左右される

しかし最後は自分で右か左か決める

人の言葉を鵜呑みにするのではなく、

その中で何が正しいのかを見定めることのできる自分を確立せよということ

もしかしたら何が正しいとか正しくないとかではなく

自分の灯明で自らの道を照らして行くこと

自分の思った道を自分で選んで進む

俺は俺のロードを走る

自分のヘッドライトで

きっと

なるようになる

俺はお釈迦様ではないので

道を違えたら修正すればいい

今回の震災で

いろいろなことを考えた

チャリティーのあり方

いろんなところでいろんな善意が生まれた

きっとどれも善意

どれが正しいとか間違っているとかではない

だったら自分で決めた道を歩いていこう

なるようになるよきっと

それと

以前俺が言った

花の力について

これについてもなんか印象に残る話が聞けたことが

今回の成果かも

花屋の徒然
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