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因果応報 日頃の行いも少しは良くなったのか?

bloggerへの道

因果応報
一度は聞いたことがある言葉だと思います
自分 窪田直秀にとって1月というのはいろいろなことがある月なわけでして
1月が誕生日であり、今まで何度となく怪我に見舞われたのも1月
年が明けて必ずインフルエンザにかかるのも1月
年末に花が売れてお金がもうかったのに支払いが続き、一気に貧乏に逆戻りするのも1月
やはり生まれ月というのは人生の中で何か意味のあるつきなのだろうか?
こうなれば人生最後も1月に終わりたいもんです。

1月の中で自分が一番気を付けなくてはならないのが
当時 魔の17日と言っていた 1月17日この日に何があったのか?
2006年1月17日の記事
なんと花ばさみで左小指をもう少しで切断しようかというケガ
1月18日の記事によれば痛み止めの薬が切れるたびにもんどりうっていたらしい
同月29日の記事ではだいぶ痛みもなくなり包帯をほどいてブログにアップするという閲覧注意なこともできるようになった

逆上ること2004年には店横のウッドデッキにパーゴラ製作中
脚立から飛び降りて釘を踏むというケガをしたのも17日
そしてその数年前の1月
買ったばかりのセロハンのロールを左足先に落とし小指を骨折したのも17日
思い起こせば1995年1月17日といえば忘れることができない阪神淡路大震災が起きた日
関東なので被害は何もありませんでしたが朝テレビを見てとてもショックを受けたのを思い出します。
2005年以降は特にこれといった大事件は起きていません
厄とか天中殺とかいろいろなバイオリズムの時だったのでしょうか?

因果応報 人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということらしい
仏教的には前世での行いということの意味もあるらしい
どんだけ悪い奴だったんだろうか?
そして2005年以降何も起きていないということは
因果応報 日頃の行いも少しは良くなったのか?
そう信じたいということと
これからももっと精進していかなくてはまた災難が降りかかってくるかもしれない恐ろしさもある
ただ恐れているだけ逃げ回っているだけではだめ
これからの人生 もし何か起きたときは
それを受け止め 受け入れ 改めていかなくてはならないのかなと
そして自らを犠牲にしてまで隣人を愛し 許すことこそ人の道 

ここまでくるともう悟りの世界です

人はそんな境地に立つことができるのだろうか?
さすがにそんなできた人間ではないので
きっとその度に誰かのせいにして 誰かを恨み 後悔の道を行くんだろう俺は

だって人間だもの
by みつを

ではでは

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